シエラレオネ - Sierra Leone –

1200年代まで ブロム人がシエラレオネ沿岸にいた(文書記録は無い)


1400年代初旬 アフリカ他地域よりテムネ人・他多数の部族が移住、のちにシエラレオネと呼ばれるようになる。


1462 ポルトガル人が大陸探検、フリータウンを囲む山脈を、ライオンに似た形である事から

セハ・リョア(ライオン山脈)と名付ける


151700年代初 ヨーロッパの貿易商が定期的にシエラレオネ半島へ立ち寄り、布地、金属製品と引き換えに象牙、木材、奴隷を手に入れる。


1652 シエラレオネより北アメリカへの最初の奴隷が送り込まれる


171800 サウスカロライナ州、ジョージア州のプランテーションとの奴隷貿易が盛んに

奴隷たちは稲作が得意で価値が高かった


1787 解放奴隷(クリオ)が自由州へ定住


1792 フリータウンがイギリスの植民地になる(西アフリカ初)


1800 ジャマイカからの解放奴隷がフリータウンへ


1808 シエラレオネがイギリスの直轄植民地となる


1827 フォーラー・ベイ・カレッジ創立、西アフリカ唯一のヨーロッパ式の大学(現シエラレオネ大学)


1898 イギリスがシエラレオネに小屋税を課す。→内陸地域で暴動が発生


1951 イギリスによって憲法制定


1953 サー・ミルトン・マルガイが首席大臣に任命


1960 サー・ミルトン・マルガイが首相に任命


1961427 シエラレオネ独立。 サー・ミルトン・マルガイが初代首相となる

シエラレオネ人民党(SLPP


1964 サー・ミルトン・マルガイ死去、異母兄弟のサー・アルバート・マルガイが首相となる


19675 選挙のすえ、全人民会議(APC)が過半数議席獲得

フリータウン市長のシアカ・スティーブンスが新首相へ

シエラレオネ共和国政府軍(RSLMF)によってスティーブンス、マルガイ両名が軟禁される


1968 シアカ・スティーブンスがようやく首相就任

11 地方騒乱のあと、非常事態宣言


1971 軍事クーデターを切り抜け、共和国憲法が採択される。

シアカ・スティーブンスが初代大統領となる。


1974 軍事クーデター発生、失敗


1977 政府腐敗、公金横領に対する学生デモ


1978 憲法改正、APCをのぞく全政党が禁止される。一党制国家となる


1985 スティーブンス引退、ジョゼフ・サイドゥ・モモ少将が大統領へ

職権乱用が増加

 

 

 

 

【紛争】

19913 反政府軍(RUF)の蜂起

元伍長フォディー・サンコー指揮のもと、東部への攻撃を開始

当初の目的は腐敗したAPC政府を国から排除すること

コノ地区のダイヤモンド鉱山の支配権を獲得し、反政府戦闘行為を断続的に継続


19924 バレンダイン・ストレッサー大尉率いる若い陸軍将校の一団が軍事クーデター

モモ大統領を国外追放し、シエラレオネの統治組織として、国家暫定統治評議会(NPRC)を設立

しかし、NPRCRUFを撃退する力が無い


1995 RUFは田園地帯の多くを掌握、事態改善のためにNPRCは民間企業から傭兵を雇う


1996 ストラッサー失脚、ジュリアス・マーダ・ビオ准将が後任につく

大衆の要求、国際的圧力により、大統領選、議会選挙を経て、権限を民政へ委譲することに合意


19963 大統領選挙を経てシエラレオネ人民党(SLPP)アフマド・テジャン・カバー大統領が就任

カバーは国連に20年以上勤務した外交官


19975 ジョニー・ポール・コロマ中佐が議長を勤める軍事革命評議会(*AFRC)がカバー政権を倒す。

カバー大統領はギニアへ脱出

RUFへ新政府への参加を求める

(*) AFRC ― カバー大統領を追放する為にシエラレオネ政府軍(SLA)の一団によって形成された組織

RUFと政府軍は共同で文民政治を排除すると宣言。地方の兵士たちが市中に流れ込み無法状態へ

市内の略奪行為

 

1998 ナイジェリア主導の西アフリカ諸国経済共同体停戦監視団(ECOMOG)によってAFRC

追放、クーデター派が駆逐される

民主選出政府であるカバー大統領の合法政権が復帰


19991 フリータウン各所でRUFによる戦闘、最終的にECOMOG軍がRUFを撃退


19997 カバー大統領とRUFのサンコーとの間でロメ和平協定が調印される

しかし、合意により、新政府内に反乱者の議席が認められ、全武装勢力の訴追が免除される


199910 国連安保理は、政府勢力と反政府勢力の間の和平合意を実施するための

*UNAMSIL(国連シエラレオネミッション)」の派遣を決定

DDR計画(元兵士の武装・動員解除、及び社会復帰)を展開


200045 RUFによる何百人もの国連PKO要員拉致事件が続き、緊張が高まる

フリータウンのサンコー宅外でデモをしていた人々20人をRUFが射殺

この事件により、サンコーは逮捕、RUF一派の政府内の地位が剥奪される


200011 ECOWAS諸国の仲介により、シエラレオネ政府とRUFとの間での停戦合意


20015 両者間の武装解除の実施方法についての第2アブジャ和平合意がなされ、状況は平静化


2002118 DDR計画の進捗状況に鑑み、カバー大統領による武装解除の完了宣言


同年31 国家非常事態の終了宣言


同年5 大統領・議会選挙が自由・公正かつ平和裡に実施され、カバー候補が再選された。任期5年続投


以降、最大時17,500名の要員で展開したUNAMSILによる治安維持及び軍・警察の機能強化により安定が保たれる。


20049 全ての州における第一義的な治安維持の責任をシエラレオネ警察に返還


200512 UNAMSIL完全撤退

 

 

(*) UNAMSILの活動

1)統治体制の確立

2DDR

3)治安回復及び軍・警察の体制確立

4)ダイヤモンド採掘・売買のコントロール

5)グッド・ガバナンス構築

上記を柱とするものであったが、それぞれの任務について大きな成果が見られアフリカPKOにおけるグッド・  プラクティスとして国際社会からの称賛を得た。


20061 平和維持プロセスに移行すべく国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSL)が活動開始


200789 カバー大統領の任期満了に伴い、大統領・議会選挙及び大統領選挙決選投票が平和裡に行われる

野党全人民議会党(APC)のアーネスト・コロマ氏が新大統領に就任。

同選挙は、2005年末の国連PKO撤退後初の選挙であり、国連平和構築委員会(PBC)の最初の検討対象国とも   なっているシエラレオネの平和と安定にとっての試金石として国際社会からも注目された。

 

200810 UNIOSLの後継として、より政治・平和構築分野に活動を絞った小規模な国連シエラレオネ統合平和事務所(UNIPSIL)が活動中。

コロマ大統領は、政権発足時より電力供給を始めとしたインフラ復興、閣僚との年間契約に基づく公共部門改革、汚職撲滅、保健等の諸課題に取組んでいる。