バナナアート芸術家ポシエンについて

 ARTCFにおいて、バナナ工芸品の指導員をしているポシエン・ンニャーンヒンディ(Pocien MUNYANKINDI)は、1969年、ブタレ(Butare)、サベ(Save)でビジネスマンの父と耕作をしていた母との間に生まれました。
 小学校7年生を修了した後、大工か土木技師になって欲しいという父の意向で、個人の土木技師について仕事を覚えます。仕事はうまくいき約7年間続けましたが、この仕事は安定していないことに不満を覚え、また子供の頃から絵心の有った彼は、1990年に開設されたアルティザン・ナタリ(Artisan NATARI)に参加しました。この学校はブルンディ人バナナ工芸作家が始めた学校で、当時20名の生徒が参加していました。
 しかし、当時このような工芸に価値を認める人は少なく、ポシエンの父も反対していました。この学校では計4年間、バナナリーフの選定、剥し方、下準備の仕方から始めて、グリーティング・カードの作り方、ザル貼り絵の作り方、ベニヤ板の貼り絵の作り方、また絵の描き方やその他の工芸品の作り方を習得しました。1年以内にグリーティング・カードを制作出来るようになっていたので、学校に行きながらカードを作って、キガリから来る人達に売ってキガリで販売されるようにもなっていました。
 その後1994年に虐殺が始まり、当時先生と一緒に工芸品の販売に出掛けていたポシエンは、そこで避難します。しかし、実家に残っていた家族は母と小さな弟一人をのぞいて全て殺されてしまいました。何人兄弟姉妹がいたのかという質問には、間をおいて、一人一人数えることは思い出すのが辛くて出来ない、と答えました。彼の母は殺されなかったようですが、虐殺以来行方不明で、何が起きたのか今もまだ全然分かりません。
 1994年虐殺は終わりましたが、先生や他の生徒の行方は分からなくなり、未だに分からず終いです。彼は、戦後使われなくなっていた建物をみつけ、そこを借りて60人の生徒を集め、バナナリーフ工芸を教え始めました。ここで約4年間工芸を教えながらカードを作って売っていました。 時々キガリにカードを売りに来ていたポシエンは、戦前ARTCFでバナナリーフ・カード作りを教えていた女性と知り合います。彼女は、ポシエンにARTCFで女性達にカード作りを教えるように勧めます。しかし、彼女はその後亡くなり、1999年にポシエンはキガリへ引越してARTCFと協力するようになります。彼は自分が教えていた学校で一番出来の良い5人もキガリへ連れてきました。彼等とカードを作りながら、ARTCFのメンバーにカード作りを教えて、ARTCFに市場をみつけて貰うようになりました。

ルワンダについてのテレビ番組(「風よ伝えて−ルワンダの碧い空」テレビ朝日2002年10月13日放映)製作協力時に、ポシエンが作った、バナナ樹皮を木版に貼り付けて作った絵。番組のレポーターをモデルにしている。左から細川直美さん、大林素子さん、西尾まりさん。

ポシエンの絵

  細川直美さん 大林素子さん 西尾まりさん
写真
水彩
バナナアート

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