ウガンダの子ども兵の実態について

(報告:入原稚奈)

  ウガンダの子ども兵士の背景
  ウガンダ北部アチョリ地方グル県では、19年間続く戦争は、ジョセフ コニー率いるゲリラグループLRAと政府軍(UPDF)の内戦が子ども兵士の大きな引き金となっている。子どもたちの多くは、家、通学中の道やIDPキャンプから誘拐されることが多い。家から誘拐された子どもたちのほとんどは、親が殺されることで自分たちが育ってきた村に帰れない状況を作られてしまう。また、ゲリラでは、逃げさせないために見せしめに子どもを殺し、コニーが持っているといわれる“聖なる力”を使い、子どもたちを脅し続け、逃げられない状況を作る。
  今では、LRAの規模も大分小さくなり、内戦の終結も近いといわれている。しかし、いつ戦争が終結するのか見えないので子どもたちも未だに有される恐怖から逃れられない状態にある。
  ウガンダの子ども兵士は、19年続く戦争の中で生じた1つ現象であり、それが1つの原因となりこの戦争を長期化させている。戦争の中で大人の男性より忠実にしかも凶暴で、戦うことに恐怖感を抱かない子どもたちは、有能で勇敢な兵士になるのである。また、その子どもたちは、あくまでも都合のいい消耗品であることも確かでる。このような現象は、子どもたちだけに影響するのではなく、社会全体に影響を及ぼし平和や和解を困難にさせている。また、現地では、UPDFには、子ども兵士はいないとなっているが、どう見ても18歳以下の子どもが含まれているように思えた。

ウガンダのリハビリテーション施設
  ウガンダの子ども兵士の社会復帰の現状は、政府が中心となるというよりも国際 NGOが中心となりリハビリを行っている。1つは、World Vision Uganda(WVU)、もう1つは、Save the Children Ugandaの支援で運営されている施設、GUSCOである。(GUSCOに関しては、インタビュー、Drawing、写真撮影の許可が下りなかったため、WVUを中心となる)。また、現在では多くの国際NGOがいろいろな方面で子ども兵士の問題に取り組んでいる。

プロセス
  子どもたちは、救出された後、Uganda People’s Defence Forces(UPDF)のChild Protection Unit(CPU)に収容され、保護をされる。その間に出身地などを調べる身上調査が行われ、親や親戚などになんらかの形で連絡が取られる。CPUを出てGUSCOまたは、World Visionの施設に送られ、同時に子どもたちの情報が流される。その情報を聞いた親や親戚が、リハビリ施設に家族や親類が比較的早い段階で子どもたちに面会に来る。
  そして、社会復帰への準備がされる、また、長期間LRAにいなかった子どもたちや社会復帰を早い段階で望む子どもたちは、通常のリハビリ帰還より短い期間で施設出ることもある。子どもたちの中には、怪我や精神状態のよって長く施設にいる子どもも多い。
  子どもたちは、施設を離れ、Communityに戻る際、新しいマットレス、ポリタンク(ジャリカン)、洋服、食器、少しの食料をもらい家族の下に戻っていく。現金は、帰る際のバス代のみを渡すだけである。

World Visionの施設
  WV Child Centreの施設には、0歳から16歳までの48名の元子ども兵士たちと、傷つき集中治療を必要とする成人男女が収容されていた。
  彼らのほとんどが、LRAから逃げてきたか、戦いの最中に傷つきウガンダ軍につかまった子どもたちである。中には、日常生活が困難になった子どもたちもいる。子どもたちは、平均3から4ヶ月で出所するのに対し、長期間のケアーを必要とするため、半年以上施設にいる子ども、また、中には大きな手術を必要とする子どもたちも多く含まれる。
  WVU Child Centre施設では、簡単な医療行為が行えるよう保健室と看護婦が常駐し、子どもたちや他2つの施設(Child Mother Centre, Ault Centre)の収容者が来てもいいように医療行為が受けられるように整えられている。
  WVUの施設では、通常生活へ戻るためのカウンセリング、リハビリなどが行われている。そのリハビリの一環でディスカッションなども含まれ、自分たちが経験したことやまったく関係ないディスカッションを行う。私が施設を訪れたときには、教師と医師ではどちらが偉いというテーマでディスカッションを行っていた。しかし、子ども同士のディスカッションと言うよりもリードするカウンセラーとのやり取りのように思えた。

  少女兵士の現状
  ウガンダの子ども兵士の事情を語る上でChild Motherの存在を無視するわけにはいかない。
  WVU Child Centreに隣接するChild Mother Centreには、28名のChild Motherと子どもたちがいた。Child Mother Centreは、救出、また、逃げてきた若い母親たちのリハビリ施設である。彼女たちの年齢は、18歳から28歳である。彼女たちのほとんどが、小さい子どもや2、3歳の子どもを連れていた。彼女たちのほとんどがレイプをされたと思ってはおらず、強制的に“結婚”をさせられたと思い込んでいる。
  このような“結婚”の形態をとるのには、LRA内での兵士と少女たちの関係にあるといえる。LRAでは、HIV/AIDSや性感染症(Sexual Transit Disease (STD))の知識が比較的高いため、女子たちは、一人の兵士の妻となり、他の兵士の相手をさせられることはない。しかし、ランクの上の兵士になると何人もの妻を従えている。
  彼女たちは、日常の家事仕事のほかに、他の子ども兵士と同様に訓練を受け兵士として働かなくてはならないが、2002年からは、女子は戦争の第一線で戦うことはなくなった。しかし、彼女たちの生活はブッシュの中で兵士たちと生活をするため、武器を持たないだけで戦いの第一線にいることには違いはない。
  そのようなChild Motherたちの口から出る言葉は、「男の人は、嫌い」と言うことである。大きな矛盾を感じる、しかし、彼女たち自身がレイプされたことを認めてしまうと、今以上に傷つき、社会からの拒否を恐れているからではないだろうか。また、この“嫌い”と言う言葉がLRAでの生活のすべてを語っているような気がする。
  このようなChild Motherや少女たちの社会復帰は、男子以上に困難であり、中には、17年間という長期間にわたり、LRAにいたため、両親は亡くなっており、自らコミュニティーに戻っていかなくてはならない。生活だけでなく、子どもの世話などを一人で行わなくてはならないため、大変厳しい状態に置かれている。

子ども兵士を防ぐための努力
  ウガンダでは、Night Commuterと言う言葉がある。夕暮れから周囲2から5Kmかけての村やコミュニティーの子どもたちが、LRAから逃れるために歩いてグルの中心にある施設に寝泊りをしていた。以前は、グルにくる子どもたちをLRAが誘拐していたこともあったが、今では少なくなったようである。
  子どもたちもこのような訪問者になれているためか、金、服、文房具などをせびる子どもたちが多くいるように思えた。
  また、その施設は、食事の支給をやめた状態であった。なぜなら、安全な地域にいる子どもまで食事を目当てに施設きたり、親がさせたりする状況を生んだためである。国家が自国の子どもを守れない状態を目の当たりにした。情けない状況に思えた。軍、警察や社会は、子どもたちを守れない状況にあるわけではなく、怠慢なように思えた。また、事態の深刻さを無視しており、これを知られたくないようである。子どもたちは、自ら2から5kmの道のりを毎日歩いて、身を守っている。

子ども兵士トップへ戻る
子ども兵士について知りたい
ウガンダ現地支援プロジェクト
このページのトップへ戻る